多井からの便り

多井探訪

 多井地区のあちら、こちらを歩きながらいろいろ調べてみました。
多井神社
  多井神社の主祭神は素盞鳴命で宮司は榊原信也さん、例祭日は7月10日です。創立時は不詳ですが、明治42年、村社多井社(旧号客大明神)と村社高田社(旧号高田大明神)の二社を合祀して多井神社とし、多井地区の氏神となっています。合祀前の二社については、元禄16年(1703年)の「島前村々神名記」に「客大明神 牛頭天皇、高田大明神 素盞鳴尊」と記載され、天保4年(1833年)の隠州風土記にも同様に記されています。
 昭和40年頃までは社の両側に大きな松の木があり、「神社の大松」として慕われていました。また、神社の下の広場(こもしや)は、子供たちの遊び場でした(こもしやの意味を知っている人、教えてください)。
鳥居をくぐったところにある阿吽の獅子のうち阿形の方は口の中に玉があったけど子供たちがいたずらして取り出してしまった。
高田社
  合祀された高田社址は今でも存在し、古いメモに「今日は高田さんの掃除」と書いてありました。日頃お参りすることはないが、毎年1月28日に野津さんを中心に、わら蛇をご神木に巻き付け「荒神さん」として祀っています。以前は多井神社の方でもご神木にわら蛇を巻いていたそうですが、いまは廃れてしまいました。
 高田社は崎~多井道路の多井入口側のお地蔵さんが並んでいる付近に入り口があります。社の後ろに「高田神社址」の碑が立っています。
お堂
 多井のお堂(大師堂)は、多井のはずれ、崎へ行く道路の脇にあります。昔はお堂の上側に崎へ行く道路があり、冬、雪が積ると子供達が竹で作ったスキーで遊んでいました。旧3月21日のお大師様の日には握り飯などの振る舞いを受けたものです。お堂の入り口の柱の上の方に阿形と吽形の狛犬(頭に角がないから、獅子かな、でも足の方に角らしきもがある)が飾ってあります。
 慶應元年丑年十月、多井の阿弥陀堂が焼失したことを、崎の庄屋と多井の年寄が、大庄屋に報告し大庄屋から松江藩に報告している文書が崎の中良家にありました。阿弥陀堂は焼失したけど、本尊の阿弥陀仏は無事運び出された旨が記載されています。焼失した阿弥陀堂は、現在の公民館の場所にあったと伝えられています。また、阿弥陀仏は今でもお堂に安置されています。それにしても明治初期の廃仏毀釈の嵐をよく耐えたものです。多井にはもう一つ「峰の地蔵堂」と呼ばれるお堂があったそうです。場所は崎へ行く旧道の峰(うね)の頂きの崎に向かって右側の所です。
恵比寿さん
  多井の恵比寿さん。多井の浜から沖へ向かって左側のテトラポットの手前にあります。昔はもう少し奥の崖の上にあったけど少し引っ越しました。引っ越しの際、浜にあった御神燈も引っ越しました。
多井の人口が多かった頃は毎年1月10日の恵比寿さんの日に、天狗の面をかぶった先祓いや獅子舞い を先頭に神輿を担いで神社まで練り歩いていました。獅子に頭をかまれると、頭が良くなるとか、健康になるとか言われたものです。
お大師さん
 旧多井・崎道路わきの所々に「おだいっさん」があったのを覚えているだろうか。大正末期から昭和初期にかけて、お大師信仰が隆盛を極め、多井のお堂の石仏もこの頃設置されたそうです。台座に番号と屋号が彫刻されていて、四国八十八番のお大師を模したものと思われます。崎を基点に、多井・須賀・日ノ津・西を経て、安国寺まで配置されているそうです。他にも、福井から家督山・菱浦の西方寺(清楽寺)へにもあるそうです。写真は、多井・崎間の新道ができたとき旧道から引っ越してきたお大師様です。観音様も一座ああります。
若宮神社
 昔の門屋の後ろにあった大きな榎の傍にあった小さな碑、「若宮神社」と彫ってあります。
高田鼻灯台
 多井の灯台と呼んでいる高田鼻灯台は、灯高105m、高さ約7、3mの小さな灯台で、昭和25年12月完成・初点です。単尖発光で3秒に1回光ります。最近は灯台の無人化で、灯台へ行く人がいないため、周囲に木々が生い茂り、多井の浜からは明かりが見えなくなりました。多井から崎へ行く道路の崎よりのところに灯台へ行く道の入口があります。そこから10分余りで灯台に到着します。草木が伸び放題で歩きにくくなっています。昔、灯台へ行く道すがら眺めた景色を思い出すと残念です。
風力発電
 写真はイメエカド(今井門)にできた風力発電所(風車)です。本土と送電線が繋がっていない隠岐諸島で再生可能エネルギーをさらに増やすため、中国電力ネットワーク(株)が取り組んだ「隠岐ハイブリッドプロジェクト」の一環として、(株)エネルギア・ソリューション・アンド・サービスが建設したものです。発電所出力は1,990Kw。年間発電量は、海士町全体で1年間に使用する電力量の約4割に相当するそうですが、令和8年9月現在故障で稼働していません。